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2.近所仲間のBオバサン

近所の人の弔問を断れば確実に何かあるとは覚悟はしていた。
ましてや、私がA婆
サンの弔問を断った経緯・理由を書いた手紙を読んでもらっていない人なら尚更である。

ここから書くことは「この人には気を付けて」と言った誰か特定の個人を指定する趣旨は全くない。

『こんな場合にも話の流れにもこういう人がいて、自分達のことしか考えないことをしてくる』と言う事を注意喚起のため、記し残しておくのも意味がある事だと思う。私のように『泣きっ面に蜂』にならないためにも何かしらの参考になるかもしれない。

近所にA娘サンと同年代(70歳前半)のBオバサンという人がいる。

近所で影響力があり、一時間近くかそれ以上の立ち話の風景でこの人を見かけないことはない。

高いテンションに年を感じさせない若く高い、響く声。素敵な笑顔と陽気な雰囲気に近所の人はつい近寄って話してみたくなり、近所でこの人を嫌いな人はいない。そんな存在のようである。

この人にとってA親子は色々な情報をくれる仲間であり、更に大切にする親友でもあり、婆々サンの面会に行った人の情報​ももらうようである。

A婆々サンが病院に申し出ることもなく勝手に強引に病室を周っていることも承知の人である。この人の立場的にはあり得ないが。


しょっちゅう、お互いお裾分け・差し入れしたりされたり、家に上げてもらったり、園芸植物を土から準備して植えてあげてお揃いの植物をお互いの家前に飾っていたり、朝昼夜問わず道端で大きな声で話したり、二階ベランダから道向こうまで話しかけ、それも長話だったりのかなりの濃密な仲のいいレベルである。


なのでこのオバサンには、弔問を断った理由を書いた手紙は渡していない。と言うのもA親子たちとの仲良しぶりが前述の通りすごかったので、伝えてどうなるのか見当が全くつかないので、この件について打ち明けることにひどく躊躇していた。

この人は、昔からの近所の人ということで家族だけで行った自宅での四十九日法要の後、偶然に外にいたこの人を私の姉が招き入れた事もあったが、この時も私は正直乗り気でなかった。A親子の仲間でもあり、A親子に中の様子を詳細に報告するのが目に見えてわかりきっていたので家に入れたくはなかった。

(後から思えばこのオバサンも断れず、入りたくはなかったかもしれないが)


ちなみにこのBオバサンは、母のガンでの入院時は最初から一度もお見舞い面会には来ていなかった。

後で振り返り考えてみると、私に直接聞かなくても行かなくてもちゃんと病室に入り込んで婆々サンの目で直接確かめてくる確実な情報源があるからそんな無駄足は必要なかったのだろう。

情報共有がこのオバサンとA親子との関係を強くしているのは想像に容易かった。

ようやく母の一周忌前の頃、Bオバサンと話す機会が出来た。というより半ば強引に作った感じだが。
なぜにそんなA婆々サンの仲間に話そうとしたのかというと、この人とは近所としての付き合いも長く、母が亡くなってから「何かあったら」と連絡先を書いたメモや何度か花や差し入れを頂いていた人だから話を聞いてくれると思ったものだった。
しかし結果から先に少し書くと所詮は、『それらの私への気遣い』と『こちらの話を聞いてくれること』は全くの別物のようであった。


この時のためにこのオバサンのために文章作成ソフトで書き、プリントアウトして用意していた手紙をその場で読んでもらうことにしていた。
手書きにしなかったのは、私の字が汚いのと、字を見やすく小さ目にできること、間違った時の修正などできれいでなくなるからの理由で、なるべく整った形で読んでもらおうと考えたからである。

 

ここにBオバサンに読んでもらったその手紙を参考までに、全文名前等伏せて載せておく。

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色々お世話になっています。

母の一周忌が来るまでに一度お話しなければと思っていました。

 

実は母が亡くなった時、Aさんが弔問に来られたのをお断りしました。

母の入院中、私にひどいことをしにきたので、

なんのために弔問に来たのかわからなかったので断りました。

 

その後、人づてで聞こえてきた話は、

話を端折って、自分の都合のよい話にしていたので、

仕方なく、

あの日私がされたこと、あの頃のこと等、本当の理由を

誤解していそうな方々に詳細に伝えていっています。

もう誰もあんなひどいことをされないよう、辛い思いをしないようにと

願って伝えています。

 

時が経つと辛い気持ちも薄れると思っていましたが、

忘れることはできませんでした。

 

病人を抱える家族に対してあれは人のすることではないです。

母もがんばって生きていたのです。

なのにあれはありえないです。

母があまりにかわいそうです。

心無い卑劣な言動をわざわざ私にしに来たのです。

悪質です。

 

母の最期の日々は一度しかありません。

母との最期の日々をめちゃくちゃにされました。

 

一体何しにきたのかわからないので断りました。弔問を断るには悲しい理由があります。

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近所の人に渡した手紙より、A婆サンの仲間ということで感情のみをあらわにしていた。
手紙でこのホームページに書く内容を、このオバサンには特に手短に中途半端に伝えても意味がないのであえてこの手紙に書くことはしなかった。

「何があったの?」と聞かれたら、改めて次の機会にそのことのみだけで手紙を書いて渡そうと思っていた。
Bオバサンに知る気があればシンプルに「何があったの?」と聞いてくれるだけだから。

 

そのためにも手紙の最後の一文に思いを込めた。
『弔問を断るには悲しい理由があります。』と。


手紙を読み終えてのオバサンの一番最初の言葉は、「あの頃親類のとこに行っていて居なかった」と言うようなもので、確かにこの3ヶ月前くらいにも『母が亡くなった頃にオバサンの親類か親族の葬儀があった』ことは直接、話に聞いていた。

その他「お母さんのこと(私の母の病気)は知らなかった」とも言われ、それに関しては私から何も話していないし、その頃のBオバサンの様子で見て取れたので「それはわかっています。」とその場で答えた。

そんな感じでオバサンの話は始まった。

そして「●●さん(A婆サン)は、何も話さないよ」と話すBオバサン。

まさか『何も話さない』とは病室で注意深く観察し見聞きしてきた事やその様子を聞いていないことなのか?

まさか得てきた情報を一切周りに流さず、黙っているはずのない婆サンであるのは、母にずっと昔から話に聞いていた。なのですぐ想像はできる、人に報告することがこの婆々さんのお見舞い面会の目的で、この人にも話しただろうことは。

だから『A婆サンが何も話さない』というのは、私に弔問を断られたことをA婆サン本人から話さなかったことだろうが、知らないならそうとBオバサンは「何があったの?」と理由を聞いても良いだろう。
 

そんな感じで話は続いていた

その話す内容をなんとか読み取ろうとするが、どうしてもこの人自身やあの親子達に都合よく話を進めているようにしか聴き取れなかった。

しかしこの人が私のことや母のこと等興味・関心ないことだけはよくわかった。

こちらから何ひとつ聞こうとしなかったから。

 

けれど明らかにこのオバサンが『弔問を断った話』を知らない訳がないのは私にはわかっていたなぜならその日までのその一年、このBオバサンの普段、周囲へ見せる態度と、私への態度が明らかに違い、異常だったからである。私はこのやり方に非常に傷ついていた。(別ページ『私のため?誰のため?』にて詳細)

 

手紙を読んでもらってから、私は一言二言くらいしか口を挟んでいない。
というのもそもそも『私が嫌だったということ』『弔問を断るほどの理由があったこと』を伝えたくて書いた手紙にも関わらず、何の事情も聞かないまま、まるで自分が責められていてそれを避けようとしているかのように、こうも一人で語り続けるのかよくわからなかったので黙っていた。

 

私は最初から、この人からのシンプルに「何があったの?」の言葉を待っていた。

 

しかしそのうち突然にBオバサンが一人考え込むように少し前かがみでこちらも見ず、
「言っていいんかなぁあ、言っていいんかなぁあ。」と同じ言葉を二回繰り返す、ひとり言を言い始め、私は唖然とした。

 

その唐突さにはわざとらしさがすごい漂っていた。何か重要なことを『私は知っている』とばかり見せ付け、自分の方へ話の流れを変えようと主導権でも取りたいかのような、まさしくそんな様子。
 

「言っていいんかなぁあ、言っていいんかなぁあ。」とは『何か』を、『誰か』を意識し、まるでその許可がいるように思えるそんな秘密事・隠し事をこの人が知っているのは驚きで、もちろんその内容が何だかさっぱりわかるはずもなかった。

“情報持っているんなら素直に話してくれたらいいのに”と思った。

もちろん素直に話すつもりがないから、こんな興味をひかせる素振りを見せつけてくるのだろうが。

ただこうして母の死の話をしていて、この場でこんな形で持ち出してきたBオバサンが握っている『私が知らない話』とは、あの日婆々サンの見聞きしたものしかないであろう。

よほどの自信があると言うより、私が確実に居ない場所での話を知っている(A婆々サンから聞いている)から、私が知らない』と断定しているかのようなこんなことができるのだろうと思う。

『(それは)何ですか?』『教えて下さい。お願いします。』と頭を下げて頼まないと教えてくれなさそうな雰囲気で、向こうもこちらの出方を待つかのように一向に話し出す気配もない。
この人の、こちらの出方を待っているわかりやすい間(ま)がほんとすごく嫌だった。私がとりあえず「Bさんには関係ない話だからいいです。」と言うと、もちろんBオバサンは教えてくれる訳がなく、その場は終わった。

やはり、私のお願い次第での対応だったのか。
知りたがって、懇願してくると見越してのこの人の行動のようだった

聞きたいことがあれば頭を下げてでもお願いするものなのかもしれないが、

私の母の死について話している状況下であえてそんなやり方。タチが悪く、この人の人格を疑う。

完全にこちらを見下してきたような気さえする。

拒絶反応と嫌気しか感じない。

知っていることがあるなら知りたいと思う、こちらの気持ちは向こうだってわかるはずだろうに。
それに自分の身内のことで、他人が秘密や隠し事を持たれるのがどんなに嫌な気がして気持ち悪いか、この人にはわからないのだろうか。
いやわかってやっているのだろうか。

しかもこんな状況に自分の仲間がしておいて。

 

この人の、私に嘘をついてまで面会強行して仕入れた仲間からもらった、私の知らないとされる情報でのこのやり口。腹が立つ。

B、この人は私や母をバカにし、母の死のことも利用し弄んでいる。

こんな汚いやり方、後々も嫌悪と怒りが一瞬たりとも消えることは全くなかった。

こんなタイミングでこの後、こちらも見ないでぼそっと『大変な時に(面会に)行ったからね…。』とつぶやくように、それでもしっかり聞こえるように言ってきた。言い放ったという表現の方が合っている。
この時に私は、Bオバサンが『A婆サンが大変な時に(面会に)行った』ことも知っているし(きっとそのことを教えられた時に母の情報も与えてもらっていたのだろう)、その件で私が怒っていると勝手に思い込んでいることを知ることが出来る言葉だった。

その時私は、私自身の口で弔問を断った理由を伝えなければいけないと思った。
 
本当は『大変な時に行ったからね』ではなく、『好き勝手に行ったからね』の間違いなので、この人はやはり向こうサイドの立場で語っているのがよくわかる。

 

これまでずっと明らかにA親子サイドの立場から語ってきたBオバサン。『大変な時に面会に行ったからね…』の言葉で自分の調子を出せてきたように見え、最後は「近所だから●●さんとあいさつくらいできたほうがいいかなって思う」とダメ出しまでしてくる。

この流れでその発言はないだろうと思う。

​…この人は話の流れ的にはマウントを取った感じなのだろうか?

私がA親子に挨拶しないのは知っているようで、そういう話はA婆サン親子はしっかり話していたみたいである。あの人達らしいやり口。

挨拶云々の話は「何があったの?」とBオバサンが私に理由を確かめてからの話ではないかと思う。

 

よくもこれだけ一人で、私から何も話を聞かないまま喋り続けていることに、私はもう呆れていたので最後に、A婆サンの弔問を断ったのは『大変な時に行ったから』でなく、他の理由があるということを話し、一方的だが、『その内容を手紙にして渡す』と伝えてその場を離れた。

 

私が「他に理由がある」と言った時にはこの人は、一方的に話す内容が尽きたかのようなダンマリの無反応になった表情を今もよく覚えている。

 

結局、Bオバサン、あんな感じで自分から何やら秘密を握っているような思わせぶりをして来たからには、私としてはBオバサンに関係ない話ではもうすでに無くなっていた。

やはりあの親子の仲間だとはっきり確信した。

 

あんなやり方されてまで、今でもその『言ってもいいんかなぁあ』の内容は知りたいとは思わない。

 

このBオバサン、以前から婆サン親子と仲が良かったから、こうなることは予想できたかもしれない。

もう少し詳しくA親子との関係を書くなら、近所で一番、孫を道路いっぱいで可愛がってくれ、B宅の外壁塗装工事の時は自転車を数日A宅に置かせてもらったり、帰省中の留守の時には廃品回収のゴミ収集の日に大きなゴミ出しをしてくれるA親子との仲であるから、情報も多種様々に色々もらっていたはずである(人が自分の陰口を話していたことまでも)。

だからこちらから何も聞こうとしなかった。

こちらがどんな出方をするかも予想がついていたからの、Bオバサンのあれら矢継ぎ早とも言える言動だったのだろう。

最初からこちらの話も感情も受け付ける気などなかったのだ。

 

そうだとしても私はそんなA婆サンとの仲はとりあえず置いておき、母の死というものに向き合って、「何があったの?」と聞いてくれる事をどこか信じていた。

 

こちらの話を聞く気もないままでの差し入れや花等は、私からすればこの人の単なる自己満足としか思えず、それと同時に、それまでのどこか作為的なようで不快にさせる私への物を渡す様子(別ページ『私のため?誰のため?』にて詳細)は、私の懐疑心によるものでないことがはっきりした気がする。

 

挨拶に関しては、以前からA娘とは色々あり、黙ってはいられなかったので、家に帰ってから言い漏らしのないよう手紙という形で、そのことについてまず書き上げた(といってもパソコンソフトのメモ帖だが)。

けれどその後もBオバサンの、A親子との仲良しぶりを見続けて、やはり手紙を渡すのをやめることに決めた
Bオバサン・A親子で仲が良い者同士なのに、こんなBオバサンに訴える感じで伝えたところでどうなるのか、果たして意味があるのかと疑問に思えたからだ。

こんなオバサンに伝えることにこだわるより、記録として残すことの方が有意義であるとこの時考え、従兄弟とこのホームページを作ることにしたのだった。

このオバサンには、他の、近所の人や情報・
話と全く違って、とりわけ『病気』『健康』『病人』『病院』『死』『面会』等は、特にセンシティブに扱わなければいけないテーマばかりなのに、それが全くわかっておらず、その辺は呆れることが出来ず、怒りしかずっとない。

(後に、この私の記述に対し、人によっては『ほとんどBオバサンと関係ない事だ』と手厳しく意見されることもあり、考え方・受け止め方は人それぞれと思い知る。)

 

その後もずっとこのオバサンの性格の意地汚さとして何度もループして思い出してしまう。

…私の手紙を読む前からこの人は、私がA親子に挨拶しないことを知っていて、

こちらにその理由を聞かないのは、挨拶もしたくない程のことをされた何かしらの理由も知っていて把握しているからこそなのに、

途中、何か知っている隠し事を見せつける小細工をして話を逸らそうとしたり

それがうまく行かず、気に障ったのか次はA親子に挨拶しないことを私に指摘してくる…。

すごく嫌らしいやり方をする。挨拶しない理由を知っているのに挨拶のことに触れてくるとは。

結局は私や母が嫌がっていた事実などどうでもよく、この人自分本位で、他人の死因さえ知れれば、後はどうでもよいのだろう。

​“3.渡せなかった手紙とA娘”へ

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