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3.渡せなかった手紙とA娘

母の一周忌の前、A婆々サンの弔問を断った事をBオバサンに初めて話した時にBオバサンから『近所だから挨拶はできたほうがいいかなと思う』と言われた後、その挨拶しない理由を書いた手紙は自分なりにうまく伝えれる内容になった。

ただ、既に前回書いたように手紙はBオバサンには渡せてはいないが、よく説明出来ているのでそのままここに載せておくことにする。(これとは別に二通目の手紙として『弔問を断った理由』を書くつもりだったのだが、そちらの方は渡す気が失せたので結局書ききることはできなかった。)

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Bさんへ

Aサンの弔問を断った理由より、
先に『Aサンへ挨拶したほうがいい』というアドバイスのBさんのご好意について、
お話しします。
お気持ちありがとうございます。

母が元気な頃からAサンの娘さんには、私達親子共々、避けられていました。
特に母はひどい対応されていたようで、
ずっとあの娘さんに会うたび、ずっと怒っていました。
向こうにも何か理由があるのでしょうが、
それでも私は、自然災害が頻繁に起こる中、やはりお隣りさんなのであいさつを続けました。

Bさんがいる前では、Aサンの娘さんえらく笑顔で声を出して挨拶するのに、
一人の時は、ただムスッとこちらからした挨拶にうなずくだけの落差に「Bさんの前では好かれたくて印象よくしているんだ」と
知りつつそれでも挨拶しつづけました。

いつかくる母の死の後もちゃんとあいさつはしようと思っていました。
しかしあのAサン達の行動で、もう私は努力と忍耐はやめました。

そういうことなので、
またBさんの前だけでいい顔されたらなんなので、
Aサンの娘さんが直接何か言ってこられるまで待ちます。

Bさん色々心配していただきありがとうございます。
私が弔問を断った話もこれもBさんの知らない話ばかりですね。
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以上、渡せず読まれないままの手紙である。
やっぱりちょっと最後は嫌味っぽく書いている、何も聞いてくれないことに怒っていたので。


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ここでA娘サンの話が出たので、A娘サンの他のエピソードも書いておこう。


母が入院していた頃、面会を終えた私が一人階段を降りて、一般診療の待合場所を通り抜けようとした時、そこにやはりこの病院に定期的に通うこのA娘サンを見つけたのだった。

じっとこっちを凝視しているから挨拶するべきかと思ったら、距離が近づくとなんと瞬く速さで90度いきなりぷぃっと顔を背けて、なん知らん顔モードに入った。私は“えっ”と驚かされた。その動きがほんと子供っぽく幼稚であったのだ。

こちらとしては「だから見えてたって…、私の持ち物すべてを正確に確認・把握しようとするくらいに凝視してたのを。」と言ってやりたいくらいのわざとらしい動きをするものだ。

見られたくないのだと察しすることにしたが、どうにも感じ悪い。

この人にとって、このわかりやすい“ぷぃっ”の行動は、顔を背けば簡単に見てなかったことにできると思っているのか、それとも「挨拶なんかするか!」と私に対しての嫌がらせで、不快にさせようとしているような意志表示な感じなんだろう…かね。


どうもこの目撃情報を聞いたA婆々サンは、『母は必ず入院している』と確信して、母の病室を突き止めたようである。

この時だけじゃなく、この娘はこれ以前からずっとこんなことしていた。

“ぷぃっ”はないのだが、次のようなことも母の通院時にあったりした。病院には私が連れて行っていたので、A娘がいると、すぐわかる、バレバレの凝視をしてくるものだから。
たいてい、良い様に考えて、病院だからお互い知らないフりしたほうがいいとの判断でそういう行動を取るように思われるが、実際この人はそこまで考えれる人ではないみたいである。
そんな翌日の話。
家の外にいた私の気配を感じた婆々サンが家から飛び出てきて(90過ぎとは信じがたい素早さ)、近所に聞こえるほど大声で“母さん、どうしたんだい?”と聞きにくる始末。

A娘はこの姿が滑稽とは思えず辞めさせないのは、やはり信じられなかった。。


ついでじゃなく、聞き出すために飛び出てくる様子は私からしたら異常そのもの。聞かれたら何かしら返事はしないし。

しかも娘から聞いた事が丸バレで。私の母は口が堅いと思って私に聞こうとしただろう。
まるで私達に気を配っているかのように見えるが、救急車で運ばれた訳でもないのに、これはやり過ぎのただの聞きたがり・知りたがりである。

こちらもそんなに風に周りに知られたくなく、ただの迷惑。

知っている人を見掛けたことを家で話すのは、ごく普通の健全な家族の光景であるが、普段から愛想の良くない娘サンからの情報提供がこんなふうに表面に婆々サンの行動として現れるのはすごく気色悪く、気味悪い。

『自分が話した』と丸バレになるのをわかっていて、娘サンが婆々サンに話していると思うと、見張られているような心境に陥る。

A娘サンは、まさか自分の姿は透明人間のように見えないとでも思いこんでいる訳ではないだろう。
服の色合いがいつも特徴的なので、どんなに人がいても黄色寄りの明るい茶色の短めの髪型とともにすぐにわかるのだった。

以上、A娘サンについて書いてみた。

A親子・Bオバサン達が互いの家に笑顔で取っ手のついた何か白い紙袋を持って、時折訪れる様子を見かけると、影でこそこそ何かしている連中としか見えなくなった。

​なお『事の成り行き』でも書いたが、この後の『ムカつく気持ち』のページは、私の感情をあらためて列挙しただけなので飛ばしてくださって構わない。

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