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​はじめに

はじめまして。

まず初めに大事なお話がありまして先にお断りしておくのが、このサイトの話は当時50歳頃だった、私の従兄弟が経験した出来事をベースに、他の方々のエピソードを加えたものです。


けっこう重い内容の話で、今でも誰かがこういう成り行きで辛い思いをしてはいけないと思い、それと同時にこれを読んでなんとか嫌な事を回避できるヒントにでもなればとこのサイトを作った所存です。


従兄弟本人あまり文章書くのも好きでないし(私も苦手)、面倒くさがりでこんな風にホームページとして作れないので、一手に私が作る事を引き受けました。私も書き残しておいたほうがいい話だと思いましたので。


ただこの先、このサイト全体を従兄弟から聞き出す“体(てい)”で表現するのは書きにくく、また読みにくいので、私が従兄弟の代わりになりきって書く事にしました。
その辺をご了承下さい。

では従兄弟に代わって、綴っていきます…。

なお残念ながらこのホームページには、気持ちがスカッとする解決策や体験談等参考になるものは皆無です。

​内容が内容だけに読んでいただく方にはかなりのストレスが貯まるものと思われますので、相当の覚悟は無い方はこのサイトを去られた方が賢明と思われます。

登場する人物達・エピソードの数々は、最初のほうで説明したように幾人かの方やその方のエピソードを使用していて、さらにそれぞれにもプライバシー・個人情報保護観点のため、更に手を加えたり、架空の人物が登場したりして、大幅に変更したりしています。ご了承ください。

​本筋以外はほとんどフィクションであることを先にお伝えしておきます。そんなすべてがほぼ偽りとなっています。

※ここに残すのは私怨からの復讐・仕返し等の類が目的なく、従兄弟が実際感じたままを、この先誰かしらの予防策・対策の参考になればと、ただの記録としてそのまま正直に書き連ねているだけですので、関係者の方々、それ以外に他意はありません。あしからずです。

※途中出てくるBオバサンなる近所の人の話が出てきます。

なぜ関係ない人にそこまで疑念のような態度になったかについては、ここに出てくる話の中で端折ったり、ここに出していないエピソード等があったりしますが、今後、Bオバサンの性格・行動についての説明不足の補完するために、後出しのように追加されることもあるかもしれません。その辺ご理解下さい。

このサイトは、もともと『私が弔問を断ったことを知る人にその理由を伝えるため』の手紙として書き始めたものをベースにしています。ただ実際には現実的な手紙の長さはせいぜい二枚強までに限られていて、そんな人達に伝えれたのはほんのごく一部の内容に留まります。

この先、ストーリー部分では『ですます調』の丁寧語は使用していません。ご了承下さい。

 

本編へと早く進めたいなら

“事の成り行き”へ​​​

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関東・埼玉県の某市で、親と昭和からの住居が今なお多く建ち並ぶ住宅街でずっと暮らしてきた。

 

父が十数年前亡くなり、そして母が亡くなって三年目の命日を9日経ったある夜。

それはよくある夜のこと。

時折Bオバサン(詳細は後述、70代)宅には、近くに住むBオバサンの息子家族が夕方頃に車でやって来て、夕食を食べた後数時間後には帰る日がある。

そんな様子を聞き耳立てていたのか、Bサンの息子家族の帰り際、自宅から出てくる近所のA娘サン(A婆サンの娘。詳細は後述、70代。)。

ある時等はこのA娘サン、車の側にいたBの息子の嫁サンに大きな声で「いつもいろいろありがとうね!」と何か​よく物をもらっていることを容易く示唆する言葉を投げ掛けることもあり、この人達の関係がうかがい知れる。

B息子家族が帰った後も聞こえる、A娘サンとBオバサンとの長く続く二人の楽し気でやけに​周りに響く甲高い声と笑い。

オバサン達の自分達だけの世界。

もともと地声で大きい人達ならともかく、急に小さくヒソヒソ声に変わる時もあるので、声の大小・強弱は自分達の意志でのパフォーマンスで、声の大きさはまるで周囲への仲良しアピールのようでさえ思える。

私の家の中にも否が応でも聞こえてくるBオバサン達のその不快な様子に、この日はなんだかいつもより私は強く怒りを感じていた。

​​

全てがこのような時間のために。

これがしたかった​この人達。

いい気になっている連中。​

こんなことのためにこの人達の間で母の死を遠回しに利用されたようにしか思えかった。


普段はあまり考えないようにしていたが、この日は特に母や私が三年前されたことをふと思い出されたのである。

とても長く重い話が続くけれど、始めていく。

 

“事の成り行き”へ​​​​​​

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