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母の三周忌前頃のBオバサン

このエピソードは、本編ホームページの方に入れようかどうかかなり迷ったが、本編があれ以上長くなることが好ましくないのと、その後の話で特にBオバサンの好感度が上がるものではないのでこちらにした。

ただ、“Bオバサン”の話の流れであり、本編の続きでもあるのでこのサイトの他のぺージのような『ですます調』を辞めていることをご了承していただきたい。
 

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一周忌を前にした頃のあの「言っていいんかなぁあ。言っていいんかなぁあ。」「近所だから挨拶できた方がいいと思う」等と言われてから一年後の、
母の三周忌の前頃の話(このホームページを公開して、色々な不具合も修正して落ち着いてきた3ヶ月後)。


私の気持ちの中で母の三周忌を良い機会に、手紙を渡さないつもりでその代わりに一応ホームページの存在だけは教えることにした。

その日、たまたま家の外にいたBオバサンに、母の闘病の日々をホームページ(このホームページのこと)にし、記録として残したことを報告した。

『A婆サンに病室でひどいことをされたこともホームページに載せたこと』も話した。
それ以上の話は、ホームページを見てもらえばずっと詳しく書いているので、話すことはあえてしなかった。

それと同時にあえてこちらからURLを教えるようなことはしなかった。興味がないものを押し付けるのは辞めることに決めていたのだった。


それに去年のBオバサンのやり取りと、それからの日常普段のA親子との仲良しぶりから鑑みて、無理に聞かせる話でもないので、知りたいか知りたくないかは私としてはこのオバサン次第だと思っていた。 

すると、やはりと言うかBオバサンは、私の言った「Aサンに病室でひどいことをされたことも書きました」の部分に早速反応して、

Bオバサンは、『A婆々サンのしたことは“年寄りのする行動”』みたいに『年寄りのごく普通なこと、珍しくないこと』で別段騒ぎ立てるようなものでなく、そして自分はまるでそういうことには寛大な態度でいる雰囲気を漂わせながら、まくしたてるように話し出した。

(去年嫌な気持ちだった私のことや、『ひどいことをされた』とはっきり伝えたのにと思う。)

それにしても全て何があったか把握して知っているようにしか見えない振る舞い。この人の、私の話や言い分を聞く前に自分の話したいことだけ一方的に話すスタイルは去年と全く変わらずで、私は嫌気しか感じなかった。

最初の『お年寄りだから』の言葉が耳に入ったと同時にそれからのほとんど話の内容は頭に入りにくく、ぼんやりとしか記憶に覚えていない。そのため、残念ながらオバサンの一語一句に関して明確にしてここでは語ることはできない。

ただ一年前は、A婆々サンを『ひたすらかばう』のみだったが、この時のその語る姿と表情からBオバサンは、多分、この一年間でBオバサンにとって究極の弁明とキーワードに辿りついたのだと思う。(この言葉を出せば、誰でも納得させられ、私も反論できず大人しくなると思ったのだろう。)

皮肉にも普段のA親子との親密な付き合いを見てきているせいで、Bオバサン自身、A婆々サンをかばっている自分の姿に酔っていて、嬉しげで満足気な笑みにすら見えた。

一人饒舌に話す姿は私にとって異様な光景にしか映らなかった。

何についてそんなにこの人は語っているのか?と唖然とすらする。やはり「私、何かひとつでもあなたに何があったか話しましたか?」と思う


そして前回と同じ話の流れにも思える、この人の喋りに調子が出たのかあっけらんかんとした感じで「いつお母さん、亡くなったっけ?」と聞いてくるBオバサン。

興味どころか記憶にすらない”とそういった悪意な感じにすら聞こえるのは、“あれ、うちの母と同じ頃に亡くなった親類(親族?)がいて、『自分にも気持がよくわかる』って以前から母の死の話とリンクさせ何度も繰り返して哀しそうな顔をして自分から語っていなかったっけ?”という矛盾を思い浮かべるからで、しっかりと『二年前』と教えた。

けれどそれに対して何の反応も示さない間(ま)が空き、別に知りたくて聞いた訳でないことは、すぐにわかった気がした

 

もちろんこの人の身内の不幸と同等に扱ってほしい等と思ってもみないが、それなら「あんなに私にアピールしたことくらい覚えておけ。」と言いたくなる。

私は“あなたの親類の不幸と悲しみは覚えている。”

それなのにその後の会話で、平気で「私もあの頃、親戚なくしているから、気持ち分かる」とか話したり、母との昔の思い出話をしようとしだしたりするBオバサンだった。

またBオバサンの独り舞台が始まりそうだったので、早々に切り上げて家に入った。


この数日後、道でばったり会った時も『ケータイでも見られるか』を聞かれ、見れることを伝えると「探してみる」と言われた。

そんな三周忌を前にした一年後のBオバサンだった。

やはり仲間のために『たいしたことがない出来事』として揉み消そうとしていた。

​『年寄りのすること』と言い訳するなら、子(A娘)と仲間(B)でほったからしに実質、都合よく年寄りに情報を収集させておいたこの体たらくの、責任は誰が取るというのだろう。

その後のホームページについて『見つかった』とか『読んでみた』とか『見つからなかったから教えてほしい』とかの話はなかったので、別に本当に興味がなかったのだろう。

結局この人も『早いか遅いかの違いで、A婆々サンが言った通りに死んだだけで、面会とは関係ない』と言った感じに済ませるつもりなのだろうか。

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